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クリストフォルス (対立教皇) : ウィキペディア日本語版 | クリストフォルス (対立教皇) クリストフォルス(Christophorus, 生没年不詳)は、903年10月から904年1月までローマ教皇位にいた人物である。20世紀前半までの近代の多くの教皇のリストでは正当な教皇であるとされているが、彼は教会法に従わない方法で教皇位を得たと考えられるようになり、教皇の準公式な一覧である『教皇年鑑』(''Annuario Pontificio'')からは除外された。現在では、カトリック教会では対立教皇であったと考えられている。 ==人生と統治== クリストフォルスの人生については、信頼できる一貫した情報源がなく、ほとんどわかっていない。ローマ出身で、父の名前はレオであったと信じられている。教皇になった時は、聖ダマススという名前の枢機卿であった。前任のレオ5世は、903年10月頃に廃位し、投獄された。レオ5世は獄死し、クリストフォルスはその後で教皇になったと考えられている。しかし、ナポリのAuxiliusは、教皇セルギウス3世がレオ5世とクリストフォルスを殺害したと記している。11世紀のギリシアの文書では〔Mon. Graca ad Photium pertinent., p. 160, ed. Hergenrother, Ratisbon, 1869.〕、クリストフォルスは聖霊が"父と子"から生じると述べた最初の教皇であるとしている。しかしその文書は、クリストフォルスはこの告白をコンスタンディヌーポリ総主教のセルギウスに語ったと書かれているが、当時はニコラオス1世がコンスタンディヌーポリ総主教の座にあった。
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